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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)5460号 判決 1983年1月28日

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中三九〇日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤一〇袋を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  韓国に居住していたものであり、観光等の目的で日本へ旅行しようと考えていたが、それを知った知人のチューと称する男から、日本へ持って行ってほしい物があると言われていたところ、昭和五六年一一月一三日の夕刻、韓国鎮海市アメリカ合衆国鎮海基地裏門付近で、同人及びその連れのキムと称する男から、キャスター付キャリーバッグを渡され、右バッグを日本へ運んでほしい、運んでくれたら一〇〇万ないし一五〇万ウォンの礼をすると言われてこれを引き受け、右バッグ内の二重底の下にテープで巻いた塊りがいくつか隠匿されていることを確認し、かつ、それが覚せい剤であるかもしれない旨認識しながら、右礼金をもらうという営利の目的で、同月一四日、韓国釜山空港から、日本航空九六八便に右バッグを所持して搭乗し、同日午後三時三〇分ころ、大阪府豊中市螢池西町三丁目五五五番地所在大阪国際空港に到着して右バッグ内のフェニルメチルアミノプロパン塩類を含有する覚せい剤結晶九、八六八・五グラムを本邦に搬入し、もって覚せい剤を輸入し

第二  前記のとおり覚せい剤を隠匿所持して韓国釜山空港から大阪国際空港に到着し、同日午後三時五〇分ころ、右大阪国際空港内大阪税関伊丹空港税関支署の旅具検査場において、旅具検査を受けるに当たり、右覚せい剤を隠匿所持していることを秘し、同支署係官に対し、輸入申告すべきものとしては別に所持していたたばこ一カートンのみでそれ以外には何もない旨虚偽の申告をし、もって偽りその他不正の行為により右覚せい剤に対する関税一五九万六、三二〇円を免れようとしたが、右係官に発見されたためその目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

一  被告人の捜査段階における各供述調書の証拠能力

弁護人は、日本語を理解できない外国人の供述調書については、その供述者が調書の記載内容を正確に理解する必要上、その供述者の理解できる言語で書かれるか或いはその言語による訳文が添付されていなければ証拠能力を有しないものというべきであるから、日本語で記載され、被告人の理解できる韓国語又は英語による訳文が添付されていない本件各供述調書には証拠能力がない旨主張する。そこで検討すると、なるほど弁護人の主張するように、日本語を理解できない外国人の供述調書を作成するに当たっては、供述者の理解しうる言語による訳文を添付し、これを供述者に読ませる等して理解させたうえ署名押印させておけば、記載内容ないし通訳の正確性が客観的に担保されることになり、また事後におけるその点の審査、検討に資することにもなって、望ましいことは言うまでもない。しかしながら、当該供述調書の記載自体から通訳の正確性等を確認しえないということのみをもって直ちにその調書が証拠能力を有しないものと断ずることは相当でない。すなわち、通訳の正確性等については、当該通訳人や取調官を証人として尋問し、或いは被告人に対する尋問を行う等の方法によってもこれを確認することが可能なのであるから、これらの方法によって通訳の正確性等に疑いのないことが確認できた場合には、他の要件を満す限り証拠能力を認めることができるものというべきである。弁護人は、通訳の正確性を当の通訳人本人の証言によって判断することの不合理を指摘するが、公判廷において宣誓させたうえでの供述であり、反対尋問による吟味も経ていること、並びに、刑事訴訟法三二一条三項及び四項が、検証調書等につき、その供述者が証人として真正に作成されたものであることを供述したときに証拠能力を付与している趣旨に徴すると、右の点に関する通訳人本人の証言の証拠価値を一般的に否定し去ることは妥当でない。

なお、弁護人は、本件においては、被告人の取調にあたり通訳を担当した麻生一男は警察官であり、かつ、自らも被告人の取調にあたっていたのであって、このような場合通訳の公正は保たれえないものというべく、この点からも本件各供述調書は証拠能力を欠く旨主張するけれども、捜査官自らが通訳を担当することは通訳の公正の観点から好ましいこととは言えず、供述調書の証拠能力を判断するにあたって考慮すべき事情の一つと考えられるが、右の一事のみをもって直ちに当該通訳人が関与して作成された供述調書の証拠能力を否定するのは相当でない。

以上の見地から本件被告人の各供述調書の証拠能力について検討すると、その末尾にはいずれも供述録取者が録取のとおり通訳人を介して読み聞かせ、これに対し被告人が誤りのない旨申し立てて署名指印した旨の記載と被告人の署名指印があるほか、通訳人が供述録取者と共に署名押印しているものであるところ、通訳人の右麻生及び警察における取調官野田五十男の各証言等の証拠によると、各供述調書作成に際しては、右通訳人が被告人の理解できる韓国語によって通訳に当り、録取された供述調書の内容を正確に通訳して被告人に理解させたうえその署名指印を受けたものと認めることができ、捜査官が通訳人を兼ねているという点を考慮して被告人の公判廷での供述その他関係証拠をつぶさに検討しても、右通訳人の通訳能力及び通訳の正確性、公正さ等に疑いをさしはさむべき節は見受けられず、また、弁護人主張のように供述調書が捏造されたことを疑わせる事跡も見当たらないから、被告人の各供述調書は証拠能力を有するものということができる。

二  被告人が本邦内に搬入した物が覚せい剤であることの認識の有無

弁護人は、当時被告人には自己が日本国へ搬入した物が覚せい剤である旨の認識はなかったのであり、右の認識があったという内容の被告人の前記各供述調書は信用性がないものであると主張するので、この点について判断する。

被告人は、捜査段階においては、その初期を除いて、本件覚せい剤を「ヒロポン」(わが国でいう覚せい剤、以下単に覚せい剤という。)と認識しながら日本国へ搬入したものである旨犯意を認める供述をしているのに対し、公判廷においては、一貫して、覚せい剤とは知らずに搬入したものであると犯意の点を否認している。

そこで、被告人の公判廷における供述のほか、関係各証拠を総合すると、まず、次のような外形的事実が認められる。すなわち、被告人は、観光と買物の目的で日本へ旅行することを計画していたところ、以前夫が自宅へ連れて来たことから知り合ったチューと称する男から、昭和五六年一一月七日ころ、「日本へ行くのなら持って行ってもらいたい物がある。」と言われ、これを承諾した。日本への出発の前日である同月一三日午後四時ころ、同人より「この前頼んでいた荷物を持って来ているので外で会ってほしい。」との電話があり、被告人方のある海軍基地の外へ出向いたところ、チューはキムと称する男を連れて来ており、自分のいとこであると紹介した。被告人は、右両名から、日本へ持って行ってもらいたいというキャスター付キャリーバッグ及び日本での連絡先の電話番号を記載したメモを受け取ったが、右バッグを持ち上げてみると相当重かったため、「何が入っているのか。」と尋ねたが、二人はこれに答えなかった。そこで、被告人は、右バッグを開けて中にあった毛布等を取り出し、更に中敷板が敷いてあったのでこれも取り出してその下を探ってみたところ、やや固い感じの塊りがいくつかあり、被告人が「これは何か。」と尋ねたのに対してチューは「カフェインだ。」と答え、更に税関で聞かれたらカフェインだと言いなさい。」と言い、荷物を渡す相手に電話するときは公衆電話からかけるよう指示し、また、「韓国に帰って来たら一〇〇万ないし一五〇万ウォンを謝礼として出す。必要ならこの場で五〇万ウォンを渡してもよい。」と言った。その後、被告人は右バッグを自宅へ持ち帰り、翌一四日、夫に乗用車で空港まで送ってもらったが、その際、右バッグを手にした夫が重いので冗談で「石を運搬しているのではないか。」と言ったのに対し、被告人は、「厚い衣類を入れている。」と答えた。同日、被告人は釜山空港から飛行機に搭乗し大阪国際空港へ到着したが、右バッグを税関の検査台の上に置いたところ、被告人の様子がおかしいと感じた検査官植野によって、右バッグの中に覚せい剤を発見されるに至った。

そして、以上の事実関係及び関係証拠を更に子細に検討した結果によると、前記犯意の点に関する有力な事情として次の諸点が肯認される。

(1)  被告がチューらから預ったバッグ内には本件覚せい剤のほか毛布、タオル類等が預った時から入っていたが、本件覚せい剤は多量で右バッグ内の荷物の大半を占めており、このことは被告人も確認していたところ、毛布、タオル類等をわざわざ日本へ運んでくれるよう依頼することは通常考えられないからチューらが被告人に日本へ運んでくれるよう依頼した物が毛布等ではなく本件覚せい剤であることは被告人も十分了解していたはずである。

(2)  右バッグ内にあった中敷板は、もともと右バッグに付いていたものではなく、他のバッグの底の部分を切り取って便宜中敷板としたものであって、その下に本件覚せい剤が入れられており、しかも中敷板とバッグの側面との隙間にはタオルが詰められ、その上に毛布が置かれていたのであって、このような状態を見ると、意図的に本件覚せい剤をバッグの底に隠匿していることは明らかであり、被告人もチューらから右バッグを預る際その中を調べ、中敷板までバッグから取り出し本件覚せい剤の塊りに触れているのであるから、チューらが被告人に運搬を依頼する物をバッグの底に隠匿していることは、即座に感得したはずである。

(3)  右バッグの異常な重さ、大きさからすると、その中身について不審を抱くのが通常であり、現に被告人はその場で自らバッグを開けて中身を確認しているのであるが、このことは被告人がバッグの内容物について不審を抱いたことの証左と見るべきである。(もっとも、この点につき被告人は、公判廷において、割れ物だと困るから中身を確かめた旨供述しているが、他人から預った物についていきなり中身を確認したことの理由としては説得力を欠くものというべきである。)

(4)  チューらから申出のあった右バッグの運搬に対する謝礼の額(一〇〇万ないし一五〇万ウォン)は、被告人方の生活費のほぼ二か月分に相当し、旅行のついでに単に荷物を運搬することに対する謝礼としては多過ぎるといわざるをえない。

(5)  右バッグを自宅へ持ち帰った後、被告人は、夫に対しその件に関する話を一切しておらず、前記のとおり、翌日夫に空港まで送ってもらった際、夫が「石を運搬しているのではないか。」と冗談を言った時も、「厚い衣類を入れている。」とのみ答えたのであるが、このことから、被告人が夫に対しても、チューらからバッグの運搬を頼まれたことと、その内容物について隠し立てをしていたことがうかがわれる。

(6)  税関の係官である植野修平の証言によると、大阪国際空港における税関の旅具検査に際し、被告人は、手が震え顔がこわばっている状態であって、同係官が右バッグ内に手を入れたところ、「何もない。ただ衣類だけ。」と言い、同係官が「何かあるのか。」と問うたのに対しても、「タオルだけです。」と答え、興奮状態になって「私にやらせなさい。」等と言ったことが認められる。(もっとも、この点につき被告人は、公判廷において、パスポートにはさんであった飛行機の切符がなくなっているのに気づいたので辺りを見回す等した旨供述するが、右植野の証言ではそのような素振りはなかったとのことであり、右供述自体にわかに採用できないが、仮に右供述のとおり飛行機の切符がなくなっているのに気づいたとしても、そのことは、興奮状態になって「私にやらせなさい。」等と言ったことの理由とはなりえない。)

(7)  被告人は、公判廷において、チューらから運搬を依頼された物について同人からカフェインであると言われたためそのとおり信じていたと供述するが、税関での植野係官とのやりとりの際にも、また、当日の税関における取調の際にも、運搬して来た物がカフェインであると弁解した形跡はなく、却って右取調の際には「重いので銅製のローソク立てのような物だと思った。」旨供述している。(伊丹空港税関支署における質問調書)

(8)  《証拠省略》によれば、韓国においても覚せい剤は社会問題となってきており、覚せい剤事犯の報道も比較的頻繁になされていることが認められる。

ところで、被告人の各供述調書中前記犯意の点に関する供述の要旨は、被告人は、テレビ等で時々覚せい剤事犯の報道を見聞していたことにより覚せい剤についてのある程度の知識を有していたことから、チューらから日本への運搬を依頼されてバッグを預った際、或いは覚せい剤ではないかと不審を抱いたが、その場はチューらから「カフェインだから心配はいらない。」等と言われたため自宅へ持ち帰ったものの、同夜入浴中考えているうち、一〇〇万ないし一五〇万ウォンもの謝礼をくれること、バッグが二重底になっており、その下に隠匿されていること、日本で渡す相手に電話するときは公衆電話からかけるよう言われたこと、税関で見つかったときはカフェインと言って自分たちの名前は出すなと言われたこと等から、覚せい剤だという気持が非常に強くなったが、謝礼をもらえることを考えてあえて日本への運搬を決意し、翌日日本へ搬入したというものであるが、前記認定の諸事情に徴すると、右供述の信用性が高いことがうかがわれ、また、右各供述調書の内容を子細に検討すると、多少の食い違いや捜査官による誤導は見受けられるものの、おおむね具体的で真実味に富み、とくに信用性を疑わせるような不自然、不合理な個所はなく、これらの点に、証人麻生一男の供述によって認められる捜査段階における被告人の供述の経緯、状況を併せ考えると、右各供述調書が右犯意の点に関する供述部分も含めて十分信用するに値するものであることが認められる。

そして、右各供述調書によると、被告人が、自己が日本国内に搬入した物が覚せい剤であることにつき判示のとおり未必的認識を有していたことが認められるから、弁護人の主張には左袒できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は覚せい剤取締法四一条二項、一項一号、一三条に、判示第二の所為は関税法一一〇条三項、一項一号に各該当するところ、各所定刑中判示第一の罪については有期懲役刑のみに、判示第二の罪については懲役刑のみに各処することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三九〇日を右の刑に算入し、押収してある覚せい剤一〇袋は、判示第一の罪に係る覚せい剤で犯人の所持するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は約一〇キログラムに及ぶ大量の覚せい剤の密輸入の事犯であって、覚せい剤が個人及び社会に及ぼす害悪の大きさ並びにわが国における現下の覚せい剤の蔓延状況に鑑みると、このような大量の覚せい剤をわが国に搬入した被告人の刑事責任が重大であることは論を俟たないところである。しかしながら、被告人は本件犯行に至るまで平凡な家庭の主婦であって、覚せい剤とは全く縁のない生活を送っていたものであり、本件は、日本へ旅行しようとしていた時、たまたま覚せい剤の密売人から目をつけられ、礼金を出す等と言葉巧みにもちかけられていわば利用されるかたちになったものであり、その意味で、密売者ないしいわゆる運び屋による密輸入の事犯とは全く事情を異にしていること、自己が運搬している物が覚せい剤であることについての被告人の認識は未必的なものであったと認められるうえ、右覚せい剤の量及びそれが他に及ぼす害悪の程度、日本において覚せい剤事犯が大きな社会問題となっている状況等についての認識も明確なものではなかったと考えられること等の事情に徴すると、被告人が搬入した覚せい剤の量にいわば比例的に刑を量定することはとくに本件の場合妥当ではないといわなければならない。右の事情のほか、営利の目的はただ一回限りの礼金を受取ることのみであり、その額も本件覚せい剤の量に照らすと比較的少ないうえ、チューらに対する親切心も犯行の動機の一つになっていることからすると営利性は低いと見られること、前科前歴がなく、再犯のおそれも殆どないと考えられること、本件覚せい剤は全部税関で発見押収され、実害が生じなかったこと等の諸点を斟酌し、主文掲記の刑が相当であると判断した。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 山本愼太郎 石井寛明)

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